パソカレッジ起業秘話(8)

1年目の秋といえば「年賀状騒動記」を外せません。

我が家の年賀状は毎年、皆様が元旦早々に喜んで頂けるよう趣向を凝らして作成をしていました。作成者はマミコ。企画お手伝いがitoitoです。

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そんな年賀状作りを皆様に伝えたいと「素敵なオリジナル年賀状作ってみませんか?」と話を持ちかけるitoitoですが。

こんな言葉に即、乗られるのはお元気な主婦層です。
あの年を思い出すには「年賀状作成講座」はランキングでいうなれば1位です。

自分で作った年賀状が出したいからと言う理由でパソコンを始められる人は中高年の方には大変多いですね。

頂いた年賀状に「あの人もパソコンを始めていた。取り残されてる」そんな焦りから始められる人も多いです。

昨年郵政省では年賀状の売れ行きが落ちて来ていると発表をしました。若い方たちの年賀状熱は冷めているかも知れませんが、ことシニアの方たちに関しましては、あてはまらないような気がいたします。

その年賀状シーズンに向けて力を注いで見たことが主婦層に大受け致しました。

2002年用の年賀状で活躍したのは「スキャナー」です。
スキャナーは価格が比較的安い割りには性能がよく「素材の持っている織り」や「和紙のちぢんだ紙の状態」等が良く撮れます。我が家ではもっぱらコピー機の変わりに活躍していましたが。

風呂敷の絵柄やご自分の作品をいれた年賀状が、この年パソカレッジでは大流行いたしました。

付きっ切りになる事が多く、その年は一つの時間帯に3人を限定して作成していただきました。

大フィーバーの年賀状でしたが、振袖の袂の柄を使いたいとスキャナーの上で振袖を広げられました時は、主婦のパワーを見たような・・・感動でしたね。

この頃は、未だデジカメで撮った写真を使った年賀状ではありません。

今では、毎年夏が過ぎますと今年はどんな年賀状を作って頂こうかと考えます。

文字をゴールドで出す技もあみだしました。
ワード達人の中に出てきます「白抜き文字」も年賀状では活躍いたします。

年賀状作成に向けて頑張っていらっしゃる方も少なくありません。

スタッフも慣れたものでワードを屈指したり、昨年はphotoshopを使ったり少し高度な技術を使った年賀状も出来ました。

作品例を載せてみます。

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昨日思い出したのですが。開校当初慣れない仕事をするitoitoの補佐に、夫は定年退職後のマージャン友達のU氏を頼みました。
在職中にはエクセルを使っていらしたらしく頑張って頂きましたが、主婦層にはお年のU氏は中々受け入れられませんでしたね。

一番活き活きしていらしたのは誰よりも久し振りに頼りにされお仕事をするU氏のような気が致しました。

パソカレッジ起業秘話(7)

パソカレッジでは生徒さんからの質問や、やってみたい事を全てテキスト化しています。
「あの薄っぺらいテキスト1冊500円もするの?」と仰った方もいました。
も少し価値を感じるようにしたら如何かしら?と考えた事もありますが、出来るだけ単価を低く抑えたかったからコピーだけで使っています。

料金を安くする為には人件費を抑えると言う事が必要になります。

「解り易く・・噛み砕いた言い方」のテキストを使えば解ると言う仕組みにはなっていますが、それでも超初心者の方達には難しく頻繁に質問が出ます。

「また同じ質問ですか。この間言いましたねとは死んでも言いません」と言う言葉がパソカレッジの5か条のご誓文にも入っている程です。

1回.2回で解る方は先ずいらっしゃいませんから。少ないスタッフで遣り繰りをするには多くのテキストが必要だった訳です。

ビデオ学習でFCをなさっている会社もあります。人、其々やりたい事・能力が違います。其れを見分けるにはやはり人の力に頼らなければ出来ない事とitoito経験から信じています。

さてF君。マミコの友達でした。

最初の目白校では欠かせない陰の人でした。K大学の理工学部院卒のF君は大手通信業界で働くエリート。目白校のパソコンは「ME」を使っていました。XPと違ってよくフリーズを致しました。調子が良いパソコンなんて毎日何台だった事か?

騙し騙し使っている状態でしたね。勤務が終わった後からパソコンの調子を見に来てくれたF君の手によって蘇ってきたパソコンでした。

マミコがシステムの仕事に慣れるまではどれだけお世話になったか知れません。

そして亡くなった生徒の村田さん・松井さん・大西さん。今もお顔を思い出します。

特にitoitoは村田さんからカメラの知識を習いました。初めてのデジカメ写真展の時には「膵臓癌」の術後2ヶ月の体で手伝って頂きました。

今お元気であれば彼方此方二人で写真を撮り歩いていましたね。写真展に出して下さいましたコンクールに入賞したとご自慢の作品ですが、形見におねだりしておけば良かったと後悔しています。

松井さん、アイボの松井さんと呼んでいた松井さんのご自慢は「アイボ」。

見てみたいと言うitoitoのお願いを聞いて下さり、或る日タクシーに乗せて運んでいらっしゃいました。教室内を歩くアイボを見て大喜びしたitoitoです。

大西さん、お子さんがitoitoと同じくらいと言う事から何となく話が合って。
ある時長い時間を掛けてご自分が癌が再発して危ないと言う事を仰いました。ご自身の事も色々話されしっかりした方で、少し年上だった大西さんにitoito憧れましたね。

最後のお電話で「調子が悪いから少しお休みをします。必ず戻って来るから席を開けておいてね」と言われてから1ヵ月後に亡くなられたと、後でお嬢様から伺いました。

パソカレッジ起業秘話(6)

2001年5月.6月で入会者は100人を越しました。

経営的には成功と言えたかもしれません。

itoitoはその頃、夢の中で予約を取り間違えいらしてもパソコンの席がなかったり、生徒さんが突然全員辞められたり・・・そんな夢を見て汗ビッショリになり目を覚ます事もありましたね。

教室の売上の升がどれ位だと言う事も見えてきましたし、少し頑張れば売上は伸びると言う事も解ってきました。トンネルの先の灯りが見えてきたのは開校して4ヶ月経ち、季節が秋に変わる頃でした。

万年の悩みは「教える人」がいない。「スキル」が低いと言うことでした。

ある時期はスタッフの研修を定期的に行いスキルアップを計った事もあります。

マミコは本業の仕事が忙しく残業をしないで帰る事が難しくなり、毎日会社から急いで帰り18時から20時のビルの終業時間まで(教室は19:30まで)それ以上に翌日の業務の計画を立てたり、新しいテキストを作ったり、販促物のチラシを作ったり、パソコンの調子を見たり雑務に追われる日々が続きました。

itoitoも最初は仕事が珍しいと言う事も手伝ってマミコの片腕となって頑張りましたが家庭があります。

もう限界と言う日を何回か経験した頃、マミコも自分自身に限界を感じ始めました。

当時の勤め先はマミコ自身株主だった事・上司である社長を尊敬していたこともあり、ここで諦める訳にはいきません。

しかし、2足のわらじは精神的にも・体力的にも辛いようでした。月曜日~金曜日は会社とパソカレッジを、そして土日はパソカレッジで朝10時から20時まで。唯一の気の抜ける時間は木曜日というパソカレッジの定休日の夜だけ。身売りする事を真剣に考え始めたのもこの時期でした。

父に見売り先を探してくれる様に頼んだ所、自分で開いた教室なのだから、自分が責任を持って身売り先を探せと言う指示が。

マミコはシステム業界に勤めていた頃の人の伝を辿って本気で見売り先を考え動き始めました。

しかし、パソカレッジのコンセプトは無くして欲しくない。という私達の思いと、まだ会員が100人しかいないということで値段はつきませんでした。

さらに、値段がつく所となると経営方針がパソカレッジと合わない・・・。パソカレッジは皆さんにパソコンをワクワクして楽しんでいただく場所、儲け第一主義ではなかったのです。しかし、それでは普通の会社では経営としては成り立たない。

主婦・シニア・シルバー層のための教室という私達の考え方と経営者としての数名の方の考え方は両立しませんでした。

楽しそうに通ってくださる方の顔、数名の「ありがとう」「ここに通ってよかった」と言って下さる、そんな声を励みにパソカレッジは存続を決定したのです。

そしてマミコは自分自身の決断として、自身の職業を一本化することに決めたのでした。

次は開校当時お世話になったFくんの事、今も忘れられない生徒さんの事を書きます。

パソカレッジ起業秘話(5)

パソカレッジの母体であるマミオン(有)ではFC(フランチャイズ)を募集しています。

日本中にパソカレッジと同じようなお教室が増える事を希望しています。
「パソコン使ってワクワクしよう!」こんなコンセプトを持った仲間を募集しています。

パソカレッジの料金は安い!とはっきり申し上げられます。

マミコが松下幸之助さんの水理論!ユーザーサイドに立った値段設定をしよう、と決めた為です。

開校当初は生徒さんからこんなに安い料金で経営出来るの?とご心配を頂きましたが、今では比較的安いパソコン教室も出来てきました。

高いお月謝では先ず最初の一歩が出ませんからね。
マミコはitoitoの友達・家庭の主婦・みんなにパソコンの楽しさを知って欲しいのよと。

料金コースは「フリータイム」「ディタイム」「チケット制」とシンプルに誰でも説明がし易いようにとの発想からこんな料金コースを作りました。

特にディタイムはパソカレッジの目玉コースです。
主婦の方たちが多く通われ元気一杯のコースです。
最近では中高年の男性も好んでこのコースを選ばれます。

主婦の方達が1ヶ月、自分に投資できるパソコンの月謝はどれ位だろうという発想から考えた料金です。
家族に遠慮しないでパソコンを習って頂きたいと8000円に消費税で8400円1.5時間。但し午後の時間帯(1時~5時まで)のみ。

これは成功しました。

ドッと押し寄せる波のように口コミで人は集まって来ました。

しかし、1ヵ月後には入りきれない予約に、「13:00~14:30」「14:30~16:00」「16:00~17:30」と言う3つの時間帯に改正いたしました。回数制限も設け1ヶ月12回でしたが、今は9回になっています。

9台のパソコン+持込パソコンで10時~19:30までの営業時間でしたが、一番混んだ日は54人でした。

現在では毎日40人位の方達が通っていらっしゃいます。(長時間挑戦される方もいらっしゃいます。)

損益分岐点を考え、必要経費などを考えてきますと、この教室からどれ位の営業をあげなければ利益に結びつかないかと言う事は素人のitoitoでも解ります。

安い月謝は生徒数でカバーするしかありません。「キャンセル待ちがでるパソコン教室」の異名は経営的にも必要だったから必死になって出来た事です。

FCさんはその地域・場所に合った料金で営業をして頂いています。

次回は「身売り」を真剣に考えた時期の話を書いてみます。

パソカレッジ起業秘話(4)

4月にはマネージャーが辞めました。また振り出しに戻った訳です。

その時の穴埋めのつもりで家で遊んでいたitoitoが取り合えず手伝いに。

難問はitoitoは全くパソコンが使えない人だったと言う事、仕事の経験も30年近くも前に少しあっただけです。

出来る事はパソコンが使えない人の悩み、主婦の視点が解る事位でした。

「こう言う事がしてみたい。」「こう言う風に教えて欲しい」「こう言う風に言われるのが一番傷つくのよ」etc・・・

マミコが会社から帰って来る夕方6時まではバイトの学生さん達を使って教室を守る役目でした。

こんなitoitoがいたから主婦の方が通い易い教室だったのではないでしょうか?

この間も生徒数は増え続け、毎日々キャンセル待ちが出るほどでしたね。

今だから話して許される事ですが、ワードの初級までの用意しかなかったテキストですが直ぐにエクセルがしたいと言う生徒さんが出てきました。

馬場校からテキストを借りてくる事で切り抜けたのですが、教えられる人がいなかった!

学生さん達は「エクセルは授業で習っていない・・・」5年前と言いますと世間はこんな状態でした。

この初期の学生バイトによって今のパソカレッジの雰囲気は作られたと言っても過言ではありません。

M嬢の優しさは中高年の方達に「やる気」を。T嬢の元気はそのまま皆様に「元気を」差し上げる事が出来ました。

教室内は常にワクワクとした環境、若さと賑やかさ、楽しさは、皆様にとっては今までに通った事のない教室だったかも知れません。パラダイスだったかも知れませんね。

バイトに入ったその日から受付業務なんて事はザラでしたね。

マミコの友達のK君の存在から一人くらい男の子のインストラクターがいても良いんじゃないかと、そんな風に主婦の方たちを見ていて感じました。

この状態が暫く続く訳ですが、何となくトンネルの先の明かりが見えてきたのは夏も終わり秋に向かう頃です。

続きは明日!