50歳代の女性達は・・・

パソカレッジ起業秘話は13回まで書きました。残り2回で目白校閉校の事を書いて見たいと思っています。

昨日、料理教室に参りました。先生は以前パソカレッジに通っていらしたので顔馴染ではありますが、新しい事に挑戦すると言う事は何時だって緊張いたします。その緊張感が若さを保つ秘訣ではないかと思っています。

itoitoと同じような年代の方達が御一緒のグループでしたが、お教室に通われる方達とは又一味違った素敵なクラスメートですね。

最近考えるのですが50歳代と60歳代の違いは何だろうと・・・

50歳代のitoitoが申し上げるのも何ですが、未だ色気が御座います。恥じらいが御座います。女を捨ててはおりません。これですよね!違いは!(笑)

こんな事を書きますと60歳代の方達から抗議が有るかも知れません。itoitoの周りの60歳代の素敵なお姉さま方はそんな方が多いかしらなんて思って見ています。

梅便りも聞かれ始めました昨夜ですが、そんな同世代の方達と、少しお酒を飲みながら語って参りました。料理教室の中での話ですが。

最近は食べる事・飲むことに貪欲になりました。美味しい物を作って見たいとイヨイヨ料理教室に通い始めたのですが・・・

楽しい雨の夜でした。嵌りそうです、この会に♪

マコさん(河野 實さん)コメント有難うございました

12/13に、このブログで「愛と死をみつめて」と言うタイトルで書いています。この日、インターネットで関連の記事を見た事で昔を思い出しながら書いてみたのですが。

本日、はからずもご本人のマコ様からコメントを頂きました。

この映画・この本を読んだ時期は正確には覚えていないのですが、勿論実家のitoitoの本箱にはずーっと並んでいます。今HPを拝見させて頂きましたがitoitoより7歳年上でいらっしゃるのですね。

お教室に通っていらっしゃるご高齢の方は「僕のインターはね・・・」とインターネットを友達のような、ペットのような感じで話されますが、このようにitoitoが書いた事がきっかけでネット上でお会いする事が出来ます。これがインターネットの楽しさです。

googleでの検索に引っ掛かってご覧になったのでしょうが、こんなコメントは本当に嬉しい事です。

「残された僕」と言う表現をなさっていらっしゃいますが、ご本人でなければ解らない辛さがおありになったんでしょうね。人生には口に出して言える事、言えない事とありますね。特に男性は「沈黙が男のメダル」なんて風潮があります。今更かもしれませんが一番理解されているのは天国のミコさんですよ。

神のお導きで僅かな時を共有され、今は違う国から目に見えない糸で結ばれていらっしゃるのでしょうか?そんな青春を過ごされたマコさん・ミコさんを羨ましく思っています。

時代の移り変わりの早い現代の若い方達にも是非この感激を伝えて下さいね。残されたマコさましか出来ない仕事ですよ♪

素敵なコメントを有難うございました。   

パソカレッジ起業秘話(13)

12話で2003年10月にFCの第一号が開校したと書きましたが訂正致します。

2002年10月「パソカレッジ香里園校」
2003年7月「パソカレッジクラブ西村教室」
2003年10月「パソカレッジ鴻池新田校」
2004年2月「パソカレッジクラブ拝島校」
2005年1月「パソカレッジクラブ荻窪校」
     3月「パソカレッジクラブ大分校」
     5月「パソカレッジクラブ宝塚校」
     10月「パソカレッジクラブ久留米校」
2006年1月「パソカレッジクラブ浅草橋校」が開校致しました。

この「パソカレッジFC」と「パソカレッジクラブ」の違いですが現在募集しているのは「パソカレッジクラブ」の方です。
小資本で少リスクで開校して頂きたいと考えたFCが「パソカレッジクラブ」です。パソコンの台数も5~6台まで。

パソカレッジFCですが今は香里園校も鴻池新田校もありません。
大きな資本を掛けてパソコン教室を開く時代は終わったと言えるかも知れません。

今、シニアの方たちが求めているパソコン教室は家庭的な雰囲気・優しさを持った教室ですね。

パソコン教室の市場としては未だまだ有ると考えています。
50歳代以降の年代の方にはパソコンが全く使えない方、少しは出来るが本質的な部分がわかっていない方が沢山いらっしゃいます。

最近ブログを友人に勧めていますが、パソコンが其処まで使えない人が圧倒的に多い事を知りました。
周りに使える人がいたから使わなくて済んだ、と言う方が多いのです。

第一陣の波は目白校立ち上げの時に通われた方達ですが、第二陣.第三陣の方達が待機しているような感じですね。

それ位シニアの方達は、新しい事に対して慎重と言うか臆病です。

後から背を押してあげる役目の教室が必要とされています。

此処数年、新聞やTV・雑誌などでパソカレッジがシニア向けのお教室である事を取り上げて頂いています。
世の中、シニアの方達の動向が気になるようです。シニアが楽しく通える教室と言う事で、パソカレッジは関心を持たれているようです。

2003年5月20日。マミコは父の元から独立しマミオン有限会社を立ち上げました。
一国一城の主になったマミコですがitoitoは同じ日の朝、離婚届を提出いたしました。

一口に言いますと経営者の夫と現場監督のitoitoの考えが違って来たと言うことが原因でした。
「熟年離婚」と言う言葉を耳にする昨今ですが、ハシリと言えるかも知れませんね。(苦笑)

父からマミコの新会社への出資はなく、会社の登記もインターネットで調べながら致しました。教室の近くに借りた事務所で当日の夜はささやかな事務所開きをしましたが、この日を境に実質的に「母と娘の起業」が始まる事になります。

教育の現場は営業や理屈では解決出来ないものがあります。
人には「心」が存在しますから・・・

パソカレッジ企業秘話(12)

寝不足です。今朝は早くからTVの前に釘付けになりました。フィギュアのフリーを見る為ですが。

夫は昔「人を残すは上、物を残すは中、金を残すは下」と言う言葉を申しておりました。

スポーツは記録も残しますが、観る人の記憶に残ります。
そう言う事ではとても素晴らしい事だと思います。

企業が残すものはお金であり、物ですが、そのお金の中から選手を育てると言う事になります。企業あってこその選手育成です。

良い施設・良い人材に投資を惜しまない企業になれるよう頑張りたいとオリンピックを見て感じました。

その人材について再度書いて見ます。

パソカレッジのスタッフは学生が多いと書きましたが、超初心者の方たちをお教えするのであれば、資格を振り回すインストラクターより、優しい孫のような感覚での学生インストラクターの方がお互い上手く行くのではと、マミコの若い感覚で始めました。

これは正解だったと思います。

只、中には家庭教師に毛が生えたような学生に教えられるのは、トンでも無いと思っていらっしゃる方もいますね。

初期の頃ですが、或る女性のご年配の方が、当方の信頼できる学生アルバイトT嬢に向かって
色々プライベートの事を聞き出して来ました。

その頃のスタッフ用マニュアルの中には、こんな風に聞かれた時の答え方なども用意してありました。

1.「職業は?」ときかれたら素直に「学生です」と答えましょう。
2.「経験年数は?」ときかれたら、「適当に誤魔化しましょう」と書いていました。(笑)

今の生徒さんでそんな質問をする方はありません。
そんな質問を出せるような雰囲気がないからですが。

或る妙齢の女性はT嬢に「貴方バージン?」と聞かれたとか、頭の良いT嬢は鋭い切り返しで真っ向勝負に出ました。

その女性は最後の切り札のような捨てゼリフで「貴方のような頭が良い女性は、得てして結婚出来ないものよ。女性は可愛くなくっちゃね」と。

色んな方に通って来て頂いていますが横綱格の記憶に残る生徒さんです。

学生達は採用が決まった時点から研修に入って鍛えます。
資格は持っておりませんが柔軟な頭と、吸収力で物の見事に期待に応えてくれますし、多く採用したバイト生の中で残る学生は優秀な者だけですね。

そんなスタッフがパソカレッジの財産です。

何を聞かれても答えられると言うのも優秀なればこそです。

若い学生と、ご高齢の生徒さんのやり取りを見ていて「異世代交流会」を思いついたのですが。

2003年7月には「第1回異世代交流会」を開きました。
若い方たちにはシニアの豊かな経験話を聞いて欲しい。中高年の方達には今の若い方たちの仕事に対する考え方、物の見方、IT業界の様子など普段見聞き出来ない部分を大いにお互い語って欲しいと思った訳です。昨年7月には3回目を開きました。

そしてこの年の10月念願であったFC(フランチャイズ)が第一号が大阪・香里園に開校になりました。

次はFCの行方・新聞で取り上げられ始めた事・マミオン(有)の独立について書いてみます。

パソカレッジ企業秘話(11)

高田馬場・目白の2校の運営に東奔西走するマミコでした。
2003年4月始めての教室のイベント「デジカメ遠足」を試みて見ました。

デジカメの使い方を教えて欲しいと言う声は早くから上がっていたのですが、メーカーによって機能の違いがあり超初心者にどのようにお教えするかと言う事に悩んでいました。

それでも世の中、量販店の店頭に立ち並ぶお兄さま・お姉さまはデジカメのメーカーの販売員が殆どです。

「クラス会に行ったら皆んな液晶画面を見て撮るカメラだったわ」と妻が言うんですよ。「何処のメーカーを買ったら良いですか?」撮り方を教えて欲しいと懇願される生徒さんも続出。そんな日が続き始めました。

そんなこんな時、卒業するスタッフのお別れ会に「韮山のイチゴ狩り」に行きました。その時撮った写真を元にテキストを一気に作り上げました。

パソコン上で編集・その他の取り入れなどはお教えできるのですが、如何すれば良い写真が撮れるかなども序にお教えしようと「デジカメ遠足」なるものを企画。

デジカメの撮り方を教えて下さる適当な方(カメラマン)が見つからない!。遠足の日取りは迫って来た或る日itoitoの通った利き酒の学校のクラスメートにカメラメーカーの方がいた事を思いつき、酔い潰れている所を泣き落として随行をお願いしたのです。

日時は2003.5.1メーデーで会社が休みだと言う事でOKを頂きましたが、当日ぶっつけ本番。朝少し早めに会って当日の台本を渡し、流れを説明。バスの中での講習を頼みましたが、喋りは得意でないという事で、喋ったのはマミコが主です。(涙)

お天気に恵まれましたが会場の「足利フラワーパーク」はその2~3日前からテレビでその美しさを放映された事もあり大賑わい。

佐野インターを降りた時からバスは前に進みません。お弁当はマミコの友達のカメちゃんが近くでお店をやっていると言う事でそこで注文。インターチェンジを降りた瞬間にお弁当を受け渡しという離れ業をやりました。これが実は大正解。フラワーパークに行ったら行列でレストランに入るどころの話ではなかったのです。

しかし、非常に混みました。インターチェンジから2時間くらい掛かったでしょうか。初めてのツアコンということで、マミコはバスの中で喋り捲るももうネタも無い・・・「もう直ぐ着きます!」と声を掛けるも、余りにも進まないバスに皆げんなりしてきて・・・

ようやくついたら大混雑!入った瞬間に誰が何処に行ったかなんて解りませんでした。

スタッフは走り回りその所在を確認の為、見つけた人から使い方をお教えするといった粗療法に取替えです。

この時痛感した事は、バスの座席・食事の時グループ等予め此方で決めておかなければならないということでした。

予定通り目白に帰って来れた時の嬉しかった事!

第1回デジカメ遠足「足利フラワーパーク」はこのようなイベントでした。事前の2月にマミコが実踏に出掛けましたが、花の無い時期ですから藤の咲く時期の混雑さ等は想像もつかなかったようです。花に焦点を充てた撮影会は、天気や咲く時期も関係してきますので難しいですね。

人混みで、食事もトイレも思うようになりませんでしたが、咲き乱れる花に囲まれお教室のお友達と和やかな歓談場所は後でも語り草になったほどです。

itoito・マミコの異世代の違いでも幼い頃の「遠足」の前日の気持ちの高まりは幾つになっても忘れる事はありません。

そんな「遠足」を実施したいと言うマミコの希望を聞き入れ、バス1台を予約・お昼の用意など、講習カメラマン等、旅行社を頼まずに企画してみましたが、先ずは成功でした。

募集人数は40名。費用8400円でした。

その後の、どの会でもそうですが「童心に帰ってはしゃげる部分」がある事を念頭においてイベントは企画いたします。

2回目のデジカメ遠足は秋に「長瀞」へ。3回目の遠足は翌年の春「葉山」へ。そして最後になりました4回目は秋に「奥多摩」へ。

秋の長瀞では「渓流下り」を入れて童心に返って頂く事を試みてみました。水しぶきの上がる船下りに大はしゃぎをしながら楽しいひと時を過ごす事ができました。

この間には「デジカメ写真展」も行い、その様子は「暮らしとパソコン」の中で紹介されました。