<あなたの肩書きは?>

月曜日に新しい複合機が搬入されました。 今までの複合機と比べて、印刷も少しですが早くなり、音も心もち静かになったような気がします。

この複合機の搬入と同時にテキストの注文が殺到。 複合機を見ながら、マミコは嬉しそうなホッとした顔。 新しい複合機からカウント料金が少し安くなるのです。 この時代ですから、地道な努力の積み重ねでの経営を心掛けています。

翌日の火曜日には、リース会社から、確認の電話も入りまして。。。

確認質問 「1」 「2」 「3」。。。と続きます。

電話に出たitoitoに最後の質問は「あなたの肩書きは?」でした。

 

マミコが申します。

「カアサン、何で!『itoitoの肩書きは、パソカレッジアイドルです。』」って答えなかったの?!

今朝は、電話関連の会社の電話で、やはり「あなたの肩書きは?」という質問がございました。

この次に聞かれたら言ってみようかしら? その後にどんな空気が流れるか。(笑)

 

※創業以来から使って来ました複合機、今回で4台目です。 最初の1台目の複合機は、創業したばかりだった事、友にお願いした保証人を断られた事もあり、リースが通らなかったのですよ。 1台目は現金で購入致しました。 資本金の300万円の殆どは、複合機で消えたのです。 信用を頂くには、少しの時間が掛かりました。 その間は若さと言う武器でしゃにむに働いたって訳です。(笑)

 

<人生 山あれば 谷もあるね>

本日は、お花見日和で空いていると予想したお教室ですが、受講生の方達は、いらして下さいまして賑わった教室でございます。 (^^♪

マミコは、明日の高蔵寺教室のオープンに向けて、名古屋・春日井市に出張。 

3月の忙しさも一段落、雑務も片付き、比較的のんびりとしている本日のitoitoです。

 

さて、前回の続きを書いて見ます。

希望の中学校へ進学出来て、女子校から共学へと、世界が一変したマミコの中学時代です。 3年間の中学生活で得た友は、今も交友が続き、充実した時期だったと思います。

ところが

高校受験を迎え、ここの附属高校へ入りたくて頑張った中学受験でしたが、運命の神様の悪戯か?はたまた神様から与えられた試練だったのか。。。この受験をまさかの失敗。

短い人生のなかでの大きな大きな挫折。

この運命の悪戯がなければ、今のマミコはなかったと思います。 豊島岡女子高を一年生の2学期で中退。高校生活は、友もなく自宅で読書に明け暮れていました。 人に、特に御高齢の方達に優しく出来るのは、心の痛みをしったから。。。翌年大検で大学入試資格は取ったけど、朝が来て行く学校がないのは、辛かったと思います。 この頃には、未だパソコンは使っていなくてワープロで遊んでいましたね。 

桜の咲くこの季節が大好きなitoito。 大学生になった時の、マミコのあの笑顔が忘れられないからなの♪

 

 

 

<ビバ! 花見酒>

4月に入って、フランチャイズのお教室から、練習メールや、インターネットでお買い物の練習の、大根・人参の注文が入って来ます。 新しい生徒さん達の微笑ましい練習風景が目に浮かぶようです。 

 

さて、東京では

昼も夜も桜の木の近くには、多くの人が。。。

土曜日の目黒川の桜に、中目黒の駅は大賑わい。 美容室のオーナーさんは、「凄いですよ。。。人人ひと。 人も少なくて朝の桜は良いですよ~。」と仰っていましたが、桜の花の数にも匹敵するような人?でしたね。

昨日は、その騒音を避けて、静かに花の宴を

京王プラザホテルの日本酒バーで過ごしました。

利き酒師がいると言うこのバーですが、千葉のお酒の話で盛り上がり、「古酒の木戸泉」が美味しいと言う話しになった最後の頃に

「千葉と言えば『岩の井』も美味しいですね。」と言ったitoitoに

「ピンで言ってよ。 ありますよ岩の井さん!」と言う事で、終わりのつもりが、新しいグラスがもう一杯出て来て。  結構フラフラです。(笑)

カウンター席の隣の部屋では、南部酒造の利き酒の会が開かれていました。

マミコは、学生時代、南部美人と言うお酒の販売店さんのコラムを書いていました。 御礼は「720mlのお酒・1本」 この頃から、全く飲めなかった日本酒を少し頂くようになったitoitoです。

編入で入りました小学校(光塩女子学院)では、毎日日記を書く宿題が出ていました。 毎日続けると言うことは、結構大変。 夏休みの事、野営キャンプに出しましたら、「テントの中で、毎夜日記をかいていたのは、マミコともう一人だけだったよ。その子はね、慶應幼稚舎だった。。。」

振り返ってみますと、この時の経験が、書き物をすることに抵抗がなくなったのでは無いかと思っています。

医者になりたい・させたいと、理系を目指して、中学校入試で学芸大(附)竹早中に入学。

小さい頃には、親も過大な期待をしたものですね。

(次回に続きます)

 

 

<凸凹な相棒>

★2001年  目白校を開校

★2002年  シニア向けウェブサイトのコンサルティング業務を開始

★2003年  マミオン有限会社設立

「カアサン、これからの時代に向けて、母娘二人での起業を売りにしようよ!」と話を持ちかけられ。。。何だか良い様に使われているかな~と思いつつも、我が子に甘いのが母の性。 あれこれ考える暇も無く業務に携わって参りました。 時間も過ぎて。。。

アッと言う間に10年が経ちました。

目白校を立ち上げた頃、ある友人が

「いといとが居るからシニアの気持ちが解るんだよ。若いマミコだけでは、ボク達シニアの気持ちなんか理解できないよ。二人が良いコンビだから有り得るマミオンだね。」と申しました。 itoitoに気を使った言葉かもしれません。

確かに、マミコが1人で、itoitoが1人で経営・運営したからって、成功はなかったはず! お互いに無い物・違う物を持っていたから、今がありますね。

フランチャイズのお教室のオーナーさん達が、お一人で奮闘なさっているお姿には頭が下がります。 

雨の週末となりました。 今週もお疲れ様です♪ 

 

<パソカレッジ母子 起業奮闘記>

パソカレッジのFCを考えられ、教室見学にいらした方達の多くは、「母子 起業秘話」に共感した、感動したと仰って下さいます。

来年の年明けから春に向けて、新たに6校開校が決まっています。 

1996年に高田馬場にWINパソコンスクールを開校したのは、マミコの父です。

2001年4月に、マミコが「超初心者歓迎パソコン教室パソカレッジ」として、1駅隣の目白に開校

2003年5月、マミコは、マミオン(有)を立ち上げました。

2005年4月、目白校と馬場校は合流し、両校共にマミコの運営「パソカレッジ」として現在に至る

昨日は、この起業秘話を読みなおしました。 今もそうですが、拙い文章ですね。(><) 「カアサン、起業秘話として、苦労話を書いて欲しい」とマミコから頼まれまして、数日で書きあげた様な記憶がございます。

目白校立ち上げから、終了までの4年間の事でしたから、記憶も新しく何の抵抗もなく書けました。 拙い文章は、真実の声となって身近に感じて頂けたかも知れません。

あれから、10年が経ちました。 

テキストを1冊作る労力を、共有できるお教室として考えたのが、パソカレッジフランチャイズでした。 私共のコンセプトに共感したいただき、開校された教室も、春には40校を越える事になります。 

IT業界は、目まぐるしい世界。 その中で 「ぶれない軸」を持つ難しさを感じながら、沢山の方達のお力を借りながら、本日も母子で頑張っています。

良く聞かれるご質問なのですが

「スタッフの方は、何人位いらっしゃるのですか?」

10名前後のスタッフと、私達2人の小さな企業なのですよ。 

本日の土曜日も賑やかなお教室。。。明日の受講が待たれる様な、お教室作りを目指しています♪