<父の思い出 ⑤>

電報が届いたのは、母が食事の支度が終わった頃の時間だったような。。。 

1通の電報を読んだ母は、「itoチャン、外務省から、オトウサンが自動車事故で亡くなったと電報が来たんよ。これ本当じゃろうかね?」と聞いて来ました。

 

母が、早朝に聞いた、戸を叩く音は、父が亡くなった時間だったようです。 玄関では無くて勝手口を叩いたって敷居が高かったのかしらね?(笑)

 

それから、夜にかけて、我が家には親戚が集まり、蜂の巣をつついた様な騒ぎになったのです。

ああでもない。。。こうでもない。。。 何人集まっても解決策が出て来る事はなかった。。。みんな「本当じゃろうか?」と半信半疑でしたから。

その当時、ベルギーには、火葬の制度がなくて、土葬だけ。。。それも、15年契約だとか、永久契約だとか。  母は、「15年契約って、15年経ったら掘り起こしに行く? そんな事、私は出来ません。」と言って途方にくれていました。

結局、西ドイツで火葬にして日本に持ち帰る事になったのです。 まだベルリンの壁があった時代の話しですからね。

遺体の引き取りには、体の弱い母に代わって、兄が行く事になりました。兄は、この時が海外初体験でした。 

自分の乗った飛行機と、遺骨を乗せる飛行機を間違えたり。。。大変だったようです。

そしてそのお陰で、最後に長い旅をして?日本の土を踏んだ父だったのです。