パソカレッジ起業秘話(9)

年賀状作成講座も終盤の12月末にマミコは勤めを辞め二足のわらじを一本化致しました。悩んだ末の決断でした。

父の経営で1996年に設立したWINパソコンスクールは2001年8月パソカレッジ高田馬場校に校名を変更しました。パソカレッジは高田馬場校と目白校の2校になった訳です。

このパソカレッジ高田馬場校と目白校の両校の運営を任されたマミコは苦悩の日が始まる事になります。

目白校はマミコ自身が手を付け色を加えて自分の好み、社会の流れを先取りして始めた教室ですが、高田馬場校はWindows95の導入と同時に開校した教室。

対象はビジネス関係者。経営方針も全く違うなかで既に、何年も仕事をしてきたベテランのスタッフ達が24歳と言う若いマミコの突然の出現を喜ぶ訳がありません。

高田馬場校を任せるにあたって父は「人事は好きなようにして良い。必要であればすっかり新しいスタッフでやって行くのも良いだろう」と心配を致しましたが、2代目経営者それも女性・若いマミコは「仕事の出来る人は、残して力になってもらう」と優しい配慮がを示したのですが。

これが逆に自分を苦しめる事になる訳ですね。

自分のブレーンを持たない為、孤立無援状態で日々を過ごす為、ストレスは溜まるばかり。
給料を払う重圧というのもありました。「仲良しじゃなく、チームワーク。」という理想はベテランのスタッフには中々届かなかったようです。

一人一人の個性を伸ばす・・・など教科書的なことを模索しながら現実と教科書の違い、若さゆえの悩みがたまり、毎日全身に蕁麻疹が出て、見るのも辛いくらいでした。

その時父は「ストレスは自分に溜めるな。他人に振れ」と申したそうです。マミコはそれを聞いて「アイアムルール。(自分がルール。)」と言い聞かせて自分自身を強くしていく決意をしたと後で話していました。

最終的には新しくスタッフを入れ替え、マミコの経営能力を傍観する事になります。

次女マミコは攻撃的な性格には見えますが、実はどちらかと申しますと2代目らしく「受身・守り」の性格です。新しく改革、というよりは今ある球を丁寧に活用していく、と言う性格です。

だからこそ、今のシニア向けパソコン教室の体質を築いたと思います。

予てから考えておりました、フランチャイズも「パソカレッジクラブ」という小規模・少リスクのFCを考えて見る事を思いついたのもマミコです。

現在その「パソカレッジ倶楽部」のFCのオーナーさんは7人(7校)いらっしゃいます。
各オーナーさん達の健闘していらっしゃるニュースが入る度、我が子の成績表を見るような思いでホットいたします。

夫がitoitoの補佐にU氏を頼んだように、学生時代から目白校でアルバイトしていました古木さんが4月入社しました。