起業秘話 その後(1)

最近パソカレッジFCの問い合わせが多くなりました。

パソカレッジの起業苦労話をご覧になって、安心される方もいらっしゃるのではと思い、起業秘話の続きを何回か書いて見ます。

3月はマミオン(有)の決算月。4期の終了を迎えます。2003年5月にマミオン(有)を立ち上げて4年が経ちました。業績は少しづつ上向いて来ています。。

事務所スペースを借りるべく不動産屋さんにあたっていましたが、教室の側に借りる事が出来ました。少し仕事をやり易く、請け易くと思い実行に移しました。

2003年にマミオン(有)を立ち上げて、マミコは独立致しました。

目白校はそれなりに廻っていましたが、馬場校の労働給付金に頼ったは営業は、給付金制度の枠が縮小された事により、何処の大手のパソコン教室も同じ現象だとは思いますが苦しい台所が続きました。

独立をした一年後位から、スタッフ達の給料や(僅かなボーナス)を支払う事が出来ても、itoitoもマミコも給料は取れなくなったのです。

自宅にそのまま住む事が出来た事、それに係る諸々の諸費用が、そのまま夫名義の口座から落とされていたから、食べる事の心配だけでした。少しの蓄えで何とか切り抜けてきましたが、蓄えも底をつきそうな感じがして参りました。

半年以上収入のない日が続き、いよいよ教室のどちらかを手放そうと決心をしたのです。この時に、上手く廻っている目白校ではなく、馬場校を残す事に心の中では決めていました。

これは他の仕事が廻るようになった時に、目白校は20時がビルの閉店の時間だったから残業が出来ない事が大きな要因でした。

ただ、手塩に掛けた目白校をなくす事は、断腸の思いでもありました。

この後に目白校の入っている、ビル取り壊しの話が来ました。考える事もなく気持ちは、馬場校1校にと言う事に決まりました。

馬場校1校にする事によって、itoitoが馬場校に入れます。人材のロスも少なくなるであろうと。そして、その余力でユーザビリティの業務も一本の柱に考えようと思いました。

パソコン教室経営・フランチャイズ運営・ユーザビリティとこの時を境にマミオンは、3本の柱を立てることに全神経を傾けました。

会社を立ち上げる為には、会社の場所が必要となります。パソカレッジの教室の場所は夫名義でしたから、新たな場所が必要となり、近くのマンションの1室を事務所として借りました。

印刷機だけを置いた事務所でしたが、一年後にはこの事務所を引き払い、パソカレッジの場所に会社登記を移転する事ができました。

誰も私達の経済的困窮な状態に、気が付かれた方・スタッフは居なかったと思います。

そんなitoitoの負けず嫌いが、今迄やってこられた原動力かも知れません。

こうして、目白校を閉じ馬場校に合流すると言う計画は実行に移しました。

その直後に母が亡くなり、itoitoは葬儀参列だけと言う母には申し訳ない事を致しました。

「新しい人に変わると、こうも生徒さんが増えるものかしら?」と目白校と合流した後、馬場校の生徒さん達は仰いましたが、必死になると何とかなるものではないかと、その時のitoitoの心境です。