<父の話 続編>

父の話をこのブログに以前載せた事があります。

父の職業は、合気道師範です。私は、小学時代に父親の職業を書く事に何時も戸惑いがありました。 友達のお父様たちは「農業」 私も将来は農家に嫁いで普通の人生を送りたいと真剣に思っていました。

5月26日(土) 武道館でこの合気道第50回演武大会が開催されるようです。 父が亡くなりまして来年で50年ですから、その前から開催されていたのですね。

随分前に、ボストンに参りまして、合気道の道場がある事を知りました。 山荘の近くにも道場があるとか、世界中、そして日本国内津々浦々迄、道場も増え愛好者が大勢いらっしゃるなんて、父が生きていましたら喜んだ事でしょうね。

以前通っていらした生徒さんが、この写真を使ってTシャツを作りたいと仰った写真は、御主人様が合気道をされている所でした。後ろには植芝盛平先生の額がありました。 

「この写真の方は植芝盛平先生ではありませんか。」と申し上げましたら、「如何して御存じなのですか?この方は、私達夫婦の仲人をして頂いた方です。」と   (ビックリ) 「父も合気道をしておりまして。。。。。」とそんな話をしましたらお帰りになって直ぐに電話がございまして「一度自宅までいらして話しを聞かせて欲しい」と

そのままになってしまいましたが、身近に合気道関係者がいるって事に驚いたのですよ。

 

父に関しましては、殆ど思い出も記憶もありませんが、中学に入って部活で軟式テニスをやりたいと申しましたら「そんな重いラケットを振って肋骨でも折ったらどうする!」とエライ剣幕で反対されました。 仕方がないから、お小遣いでラケットを購入し、学校に置きっぱなしで練習をしていたのですが、その後直ぐに、ベルギーに赴任しましたので、ばれなくて良かったとホッとした事を覚えています。 非科学的な反対の仕方に、スポーツ系の仕事に従事しているとは思えず、それでなくても父の存在が疎ましい年頃でしたから、その気持ちは更にと(笑)

私が、合気道を始めたいと言いましたら「手首折るゾ! 足折るゾ!」と反対したのでしょうか?(うふっ)

合気道をしなくても、掃除機に躓いて肋骨2本折りました。 タクシーからの降り方が悪くて足首骨折致しましたけど。 (アハハ) 

このブログに父の話を数話UPしていたのですが、これを偶然見つけられたのでしょうか、関係者の方からご連絡を頂きました。今週末にお会いする予定です。 父の記憶は遥か遠い彼方での事。 年数が経ちますと話しは美化されて参ります。申し訳ありませんがお役に立てる様な話しはないかも。(><)

それよりも皆様から新しいお話を聞かせて頂ける事を楽しみにしています。 お気をつけてご上京なさって下さい♪ (お写真有難うございました)s-s-父