<父の思い出 ③>

6年振りに帰国した父の荷物の中には、お土産欲しい物リストにいれていた、「ビルマの竪琴」はなかったのよ。 どこで消えちゃったのか (><)

この時の6年間の離別は中々難しくて。。。「オトウサン」と呼べない。。。懐かないitoitoでした。(難しい年頃ですからね)

ある時、突然、父親参観日のご案内のチラシを学校で頂きました。家に持って帰って必ず見せる様にと担任の先生は仰いましたね。

「このお便りを、どうすれば見せなくて済むか。。。」暫くはそればかり考えて、ご飯も給食も喉を通らない日が続きましたが、そんな訳にも行かずその日を迎えたのです。

我が家は、父がミャンマーに行くと同時に、海のそばの家から、田園の中の家に引っ越しました。友達のお父さんは、殆どが農業。 当日は、小ざっぱりした開襟シャツにズボン。 そんな装いでした。

さてトウサンは?

ドキドキしながら迎えた父は、背広に真っ赤なネクタイ。おまけにベレー帽なんか被っていて完全に周りから浮いていましたね。(涙) 赤い色が好きだった父でしたが、「やっぱり」と予感が的中してショックを受けたitoitoでした。 普通の恰好で来て欲しかったのに。(ため息)

授業は算数「鶴亀算」

「この問題が出来た人」って先生が聞かれた時、後ろから「は~~~い」と言う大人の低い声が聞こえて。

まさか?!!!って後ろを振り向いたら、何と父!!!(汗)  

少し変わった家庭環境で育った私は、そんな事位で登校拒否を起こす事もなく、ショックを顔にも出さず偉かったですね。

それでも、一日も早く、また何処かに行って欲しいな~って思っていたかも。(うふっ)

<今日の教室>

4歳までの父の記憶は、父の思い出②位までです。 この後は、ミャンマーから帰って来て、ブリュッセルに経つまでの2年間を書いてみるつもりですが、本日は、今日の教室の様子をご紹介します。

 

暑さ、寒さや雨・雪に弱いのが、高齢者。  それでも最近は、雨にも風にも負けずに受講される方が多くなりました。(^^♪

そして、毎年の年頭のご挨拶(年賀状)は欠かされる事がありません。 唯一元気でいる事のお知らせだとか仰っていますね。

 今年は、年賀状の種類も増え、Ⅰさんは、背景に地模様がある年賀ハガキを持ちこまれました。 同じ画像で作成し印刷しても、また雰囲気が違って素敵ですね。

パソコンでは、「ゴールド」の色が出せないと思っていらっしゃる方もいるかな~。。。

先日、Tさんは、この方法でゴールドを使った年賀状を作られました。印刷も出来て大喜びでした。

 

※ ゴールドの色を作るには

①金箔を探す  ②画像保存  ③画像トリミング→保存

④オートシェイプ  ⑤背景テクスチャ選択

是非、お試しくださいね♪

<父の思い出 ②>

父の記憶を辿った昨日、思い出した事があります。

幼かった私は、何時も父の膝の中にいた事を。  父の居る時は、客人が多かった。 その客人の中に、「こんな可愛い子、連れて帰って床の間に飾っておきたい。」と仰った方がいました。 「itoito、この家がいい。。。よその家には行かせないで!」と泣き喚いた記憶が蘇りました。 今でも初対面の方に会うと体が硬くなりますが、この時の大人のジョークやお世辞が解らなかった私には、今でも恐い想い出の一つなのです。

ミャンマーに何故行く事になったか? ネット上の何処かにか、こんな風に残されている記事を発見しました。

「マンダレー警察学校へ日本の戦争賠償に代わる文化供与使節として、合気道指導のため派遣された。(2年間)

このミャンマーへ行く為に必要な学歴のなかった父は、日本大学の学長の許へ行き、短刀を突きつけて、大学の卒業証書を書いて頂いたと。。。母から聞いた話です。実家で、この卒業証書を一度目にした事がありますので本当の話だと思います。 

職業柄、実家には、武道で使う道具(薙刀、弓、棒、真剣、鎖鎌)がありました。 

これもネット上で見つけた話ですが、兄が悪戯をし父の恐さに逃げたらしいのですが、兄が逃げる後ろ姿を暫くみていた父は、何十メートルか行った後ろから弓矢を放ったとか。。。勿論敢えて外した弓矢は、兄の耳元のそばを通過したと面白く書いてありました。 

武道に関しての父の実力と親子の絆を残した話です。 短刀と書きましたが、脇差しと言うのでしょうか?父は、そんな刀を何時も身近に置いていたような気がします。

兄達から、「itoito、トウサンに可愛がられているからって良い気になるな!」と苛められていた様な気がします。 確かに、見守られていましたね。思い出しました。(笑)

<父の思い出 ①> 

受講生のMさんは、占いをされる方です。  先日、受講が終わられた後で、特に気になる事がある訳でもなかったのですが、何となく見て頂きました。 ずい分事前準備をされていらしたご様子で、詳しく伺う事ができました。

開口一番に、「私は、家族縁が薄いと出ていませんか?」と申し上げたitoitoに

「孤独な星ですね。 天涯孤独と言えるかもしれませんね。 この星の方は、1人でいる時が一番落ち着くはずですが、そうですか?」と聞かれましてね

「そうなんですよ、賑やかな家族の中に育ったせいか、1人の生活に魅かれていましてね。。。1人の時が一番安心出来て、素の自分が出せて落ち着きます。」とお答えしたのです。

更に言葉を続けられたMさんが仰るには、「この星の方は、常に守護神から守られていると言う風に感じられる様ですが、そうですか?」と質問

「誰か、影の様な人が何時も傍にいて、守られている。。。そんな気がしています。」とitoito。

両親の縁も薄い中で、父とは特に薄いかと、小さい頃から思っていたのですが、案に反して「母よりも父の方が、まだ縁があると言う事を仰っていただき意外でした。そんな事もあって、父の事を少し書いて見ようかと言う気になりました。

 

父は、私が、4歳の時に、ミャンマーに参りました。 6年後に帰国し、その後2年後には、ブリュッセル(ベルギー)に参りまして、3年後に、自動車事故で一生を閉じました。 ドイツの演武会の帰りの事故だと聞いています。 この時、父は69歳、私は15歳でした。

私が、知っている父は、その当時、合気道の師範をしていまして、9段という高有段者だったのです。 最近父の事を書いた本を見つけました。 その本には、私が知らない父がいました。 亡くなりまして50年近くなります。 僅かな記憶の範囲で、娘達に祖父の事を残しておきたいと思っています。 

ただし、父としての思い出であり、武道家としての父の思い出ではありません。 次回からは、も少し具体的に書くつもり。 お楽しみにね♪