<父の思い出 ②>

父の記憶を辿った昨日、思い出した事があります。

幼かった私は、何時も父の膝の中にいた事を。  父の居る時は、客人が多かった。 その客人の中に、「こんな可愛い子、連れて帰って床の間に飾っておきたい。」と仰った方がいました。 「itoito、この家がいい。。。よその家には行かせないで!」と泣き喚いた記憶が蘇りました。 今でも初対面の方に会うと体が硬くなりますが、この時の大人のジョークやお世辞が解らなかった私には、今でも恐い想い出の一つなのです。

ミャンマーに何故行く事になったか? ネット上の何処かにか、こんな風に残されている記事を発見しました。

「マンダレー警察学校へ日本の戦争賠償に代わる文化供与使節として、合気道指導のため派遣された。(2年間)

このミャンマーへ行く為に必要な学歴のなかった父は、日本大学の学長の許へ行き、短刀を突きつけて、大学の卒業証書を書いて頂いたと。。。母から聞いた話です。実家で、この卒業証書を一度目にした事がありますので本当の話だと思います。 

職業柄、実家には、武道で使う道具(薙刀、弓、棒、真剣、鎖鎌)がありました。 

これもネット上で見つけた話ですが、兄が悪戯をし父の恐さに逃げたらしいのですが、兄が逃げる後ろ姿を暫くみていた父は、何十メートルか行った後ろから弓矢を放ったとか。。。勿論敢えて外した弓矢は、兄の耳元のそばを通過したと面白く書いてありました。 

武道に関しての父の実力と親子の絆を残した話です。 短刀と書きましたが、脇差しと言うのでしょうか?父は、そんな刀を何時も身近に置いていたような気がします。

兄達から、「itoito、トウサンに可愛がられているからって良い気になるな!」と苛められていた様な気がします。 確かに、見守られていましたね。思い出しました。(笑)