パソカレッジ起業秘話(1)

2006年2月2日、日経新聞夕刊にパソカレッジと運営母体であるマミオン(有)の記事が掲載されました。目白校開校から5年、感慨深いものがあります。23歳の女の子が一人で創った「超初心者パソコン教室」が日経デビュー・・・

思い起こせば、5年前、2001年の春3月です。

社会人になって1年目を終えた次女のマミコは、前の会社の上司の独立された会社に入社の為、1ヶ月間の時間の空きを利用してアメリカの短期留学で時を過ごしました。

独立が予定通り行かない上司の入社日の連絡を待つマミコに、突然父はJR目白駅前のコマースビルに空き物件があるので何か良い商売はできないかと話を出しました。

大学でマーケティングを専攻していたマミコはリサーチを父に頼まれその結果を父に報告。

内容は・・・

1.目白周辺は中高年が多い。JR以外の支線が入っていない事で商売が難しい。高級住宅地である。学習院・日本女子大など文教地帯である。

などから中高年を対象にした教育関係が良いのではないかと。そのリサーチ結果を元に超初心者・中高年対象のパソコン教室を目白に創る事を決定。その運営を次女のマミコに半ば強引に託したのです。マミコ独自の理論でパソコン教室の方向性を定めていきました。

コマースビル2Fの教室の場所はコマース側から空きテナントの中でもこのスペースが良いだろうと提案されたとの話を聞きました。

家賃は可也空き物件が多いと言う理由で叩いた筈です。予算はあまりなかったと聞いています。少ないお金のなかでいかにやりくりするか、マミコが昔の会社の取引先などに電話して、いろいろなものをかなり安く譲っていただきました。

教室経営に必要だった、パソコン台5台、カウンター用机、持ち込みようの丸テーブル、隣のテナントさんとの間仕切り用パーテーション、パソコン9台、プリンター2台、スキャナー1台、デジカメ1台が揃えられました。

室内は以前文房具やさんだった物を改装もせず上手く利用。正直どうなる事やら、海の物とも山の物とも解らないほどの未知の分野だった訳です。

出来るだけリスクを最小限にと考えて始めたのがパソカレッジ目白校でした。

教室名は母であるitoitoが偶然思いついてつけた名前です。

これが2001年3月の出来事です。(続きは明日!)

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